新オスマン帝国外伝~影のキョセム~【キョセム】は史実では不幸だった…

新オスマン帝国外伝は、キョセムのキョセムによるキョセムのためのドラマ、って感じがひしひしとしていて、ヒュッレムの頃は前半あんなにも敵だらけで苦戦していたのに、キョセムは早くからこんなに簡単に実権を握れたの?と不思議になりますよね。

オスマン帝国外伝のファンならみな思うことです。これはドラマの創作ではなく、現実のことでした。キョセムはあらゆる偶然が重なって、10代の頃からオスマン帝国の後宮の実権を握ることとなったのです。

今回は、新オスマン帝国外伝のキョセムの史実についてお伝えいたしますね。ドラマと一緒に楽しんでください。キョセムが決して幸せなだけの人生ではなかったのだと、史実を知ればよくわかります。ネタバレを含むため、見たくない方はご遠慮ください。

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新オスマン帝国外伝のキョセムの史実について

キョセムの一生は1590年から1651年。生まれた年は不明なので、約60歳くらいまで生きたのだと覚えておきましょう。

ドラマでは、ギリシャの村・ティノス村からさらわれてきていましたが、これも不明です。アナスタシアという生まれ持った名前も史実ではあやふやです。

確かなのは、アフメト1世→ムラト4世→イブラヒム→メフメト4世の4人の代替わりの中、ずっと実権を握り続けたということです。

ドラマでは16歳くらいからずっと権力を握っていた…「ヒュッレム→ヌールバーヌ→サフィエ→キョセム」の流れで、後宮の女性が権力を持った時代だったんですね。

結局キョセムも、サフィエを倒して引き継いだ実権を、次世代の孫の母親と敵対して、負けます。

キョセムの父親は殺された?

新オスマン帝国外伝のシーズン1の25話あたりで、キョセムの父はサフィエの罠にはまります。

これは史実ならかなりきついけど、幸いドラマだけの創作です。というか、キョセムの出生も確かじゃないので、父親も多分ギリシャの人ってくらいの情報しかありません。

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キョセムの妹もハレムにいた?

ドラマの61話あたりに出てくるキョセムの妹のヤーセミン。

キョセムに似て美人で魅惑的な妹も、ハレムの一員として寵愛を受け始めます。

妹と知らずにキョセムは罠をはり、当然のようにサクッとあの世へ送りますが…亡骸になったあとでサフィエからネタバレをされて、妹の亡骸に謝ります。

酷すぎる…と思ったけど(サフィエもキョセムも)、これもドラマだけの創作です。

息子のムラトを死に追いやった?

新オスマン帝国のシーズン2では、キョセムとムラトが序盤からバチバチしています。

ムラトはやがてキョセムを隠居させ、実権を握ろうとして母親から疎ましがられ、死に追いやられます。

「え?実の息子も殺すの?」とびっくりするのですが、史実ではムラトは肝硬変で病死。深酒も原因だったようです。

母キョセムによる暗殺であるというのは、史実ではなく創作です。

キョセムの最後は?

新オスマン帝国のシーズン2では、キョセムの最後は悲惨です…。

「え?これ史実じゃないよね?」と思うのですが、キョセムの最後はドラマの通りです。

オスマン帝国史上、後宮の中でトップクラスの権力を誇った巨星は地に落ちました。

キョセムの死後、誰が実権をにぎったの?

キョセムに勝ったのは、イブラヒムの妃のトゥルハン妃です。

しかし、トゥルハンは政権を握ることに興味を持たず、実権をキュプリュリュ大宰相に委ね、そのキュプリュリュが大活躍する時代が戻ってきます。

キュプリュリュはベネチア海軍を破り、オスマン帝国はこの時代に領土を最大に広げます。

イブラヒムの挙動はおかしく、トゥルハンは夫にも姑(キョセム)にも苦労しましたが、実権を大宰相に委ねたのは正解でしたね。

トゥルハンは後宮の最後の「母后」であり、長きハレムの歴史のクライマックスを飾りました。

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