オスマン帝国外伝のセリムやヌールバーヌの死因が最悪…

史上最高に面白い、オスマン帝国外伝の女帝ヒュッレムの息子のセリム…。ドラマのストーリー上、完全悪役なセリムですが、実在の人物なので実際はどうだったの?と思い、史実を調べてみました。

 

ドラマを見てて気になった、セリムの息子のムラトについても意外な事実が分かったので紹介しますね。

 

ネタバレ多数なので、見たくない方はここまでですよ。

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オスマン帝国外伝のセリムってどんな人?


1524年~1574年の間生きたセリムは、オスマン帝国第10代皇帝のスレイマンと、妻のヒュッレム(ロクセラーナ)の第4子として生まれました。(メフメト、ミフリマーフのほかに、セリムの前に男子が1人いたが早世したから、セリムは4番目)

 

セリムの下にはバヤジトとジハンギルが同じ両親から生まれており、オスマン帝国の皇族として育ちました。と言ってもセリムは早い時期から「酒飲み」「色ボケ」と国民にも酷評されており、両親もそこのことを熟知していました。

 

「皇子は4人もいるし、セリムが酒飲みだろうが…まぁいいだろう」

 

と思われてきたのに、1553年にムスタファが後継者争いの罠にはまって処刑されてからが大変です。

  • ムスタファ…優秀だけど処刑される
  • メフメト…優秀だけど天然痘で早世する
  • セリム…酒飲み
  • バヤジト…優秀だけどセリムとの兄弟仲が最悪
  • ジハンギル…優秀だけど病弱で早世

 

こんな感じで優秀な兄弟が次々と亡くなってしまい、最後に残ったセリムとバヤジトの兄弟げんか…ではなく、後継者争いが一気に熱を帯びました。

 

1559年についに、セリムや側近のララ・ムスタファの策略で、窮地に追い込まれたバヤジトが反乱を起こします。反乱に怒ったスレイマンはセリムに加勢して、劣勢に立たされたバヤジトはイランへ敗走します。そしてスレイマンとセリムの要請でイランで処刑されてしまうのです。

 

こうしてセリムは「たった一人残った皇子」ということで、オスマン帝国の第11代皇帝になりました…。

 

セリムの政治はどんなだった?国は大丈夫だった?

5人もいた優秀な息子たちの成長を暖かく見守っていたスレイマンでしたが…1561年にバヤジトが亡くなって途方にくれました。反乱を起こした皇子を処刑するのは常識だったらしいですが、スレイマン…そりゃ悩んだでしょうね。

 

「最後に残った息子がまさかの…セリム…酒飲みだしだらしないし、政治とかできないじゃん…。」と。

 

そこでスレイマンは、老体に鞭をうって…リューマチの足の痛みに耐えながら、残されたオスマン帝国の民のために準備を始めたのです。

 

セリムが王になった時も、優秀な部下が政治を運営するシステムを作っとけば、オスマン帝国は安泰だ!ということで、大宰相や宰相が国を動かせるよう、優秀な部下を固めました。その一人がソコルル宰相で、オスマン帝国始まって以来の名宰相として知られています。

>>嫌なソコルルを、ちょっと好きになれる史実はこちら

 

セリムは皇帝になってからも深酒をやめず、政治に関心を全く持たず、宰相たちのよき傀儡(くぐつ)的な皇帝として知られていました。

 

「皇帝が傀儡であろうとも、宰相たちが優秀であれば国は潤う」

 

というスレイマンの残した遺産によって、オスマン帝国はセリム2世の君臨する(君臨してたんか?後宮で酒飲んでただけ)時代も安定していました。

 

それどころか、スレイマンさえ成し遂げなかった偉業を達成しているんです!

 

セリムの時代のオスマン帝国の繁栄


かねてから地中海の拠点として重視していたキプロス島ですが、スレイマンの時代にはたどり着けませんでした。

それをなんと、1570年にセリムが、ソコルルの反対を押し切って遠征を決めて出撃したんです。ララムスタファの率いる軍によってキプロスは陥落。地中海をまたぐキリスト教国家は震撼したと言います。

蓮 驚き

というか、ララムスタファの活躍がイヤすぎる…キプロスの戦でも敵を残忍に殺したことで有名です。

その後、オスマン帝国に恐怖を感じたキリスト教国家は連合を組み、オスマン帝国と対峙しますが、ソコルル宰相の策略によって終戦し、オスマン帝国はキプロスをゲットしました。

 

それなのに…

 

キプロス進軍を決めたセリムは国民にたたえられるどころか…

 

「セリム王は、キプロスのワイン飲みたかったっぽい(笑)」

 

とささやかれて、人生で唯一の手柄っぽい手柄が「酒好き」のレッテルの上書きにしかなりませんでした。

 

セリムの死因は何?

1574年…バヤジトを殺してから13年後にセリムは亡くなります。

 

セリムは…ワインを山ほど飲んだ後に、お風呂で滑って転んで頭を打って、その11日後に亡くなります。

 

ドラマのオスマン帝国外伝を見ていた方なら、セリムのこの末路に、バヤジトや息子たちの無念が少しは晴れて、すっきりするのではないでしょうか。

 

ヌールバーヌの方はどうでしょうか?

 

ヌールバーヌーのその後の人生は?死因は?


1525年~1587年を生きたヌールバーヌは、ベネチアの貴族バッフォの出自です(ドラマでは庶子と描かれていた)。

蓮 驚き

62歳まで生きてる…

オスマン帝国外伝を見ていた方からすると、許せない毒蛇女のヌールバーヌですが…

残念ながら…

バヤジト亡き後、セリムが皇帝の座に就くと、ヌールバーヌの黄金期がやってきました。

 

  • 「母大后」という名称を初めて手に入れた人(スレイマンの母は?w同じように呼ばれていたやんけ)
  • 女性で初めて摂政として政治に参加した人←

 

そうなんです。

ヌールバーヌは女性で初めて摂政として、ソコルルらと協力して政治参加した人物なんです。

 

スレイマンの母后や、あの偉大なヒュッレムよりも活躍した女性…セリムが傀儡だったからともいえますよね。スレイマンは、スレイマン自身が優秀だったから女性であるヒュッレムを抑えていられたけど(いられなかったけど笑)、セリムはヌールのすることに全く干渉しなさそうですもん。

 

ワインさえ与えとけば…

 

このことからヌールバーヌは後宮の完全なる支配者だったと推測できますが、ミフリマーフと喧嘩バチバチだったのでは?と思いますよね。

 

ミフリマーフとヌールバーヌの仲


オスマン帝国外伝のシーズン4の90話以降でミフリマーフとヌールバーヌの後宮内でのネチネチした対立の様子が描かれています。

 

ヌールの支配なんて、ミフリマーフが許すわけない!って思いますよね。しかし、死期のずれからヌールの黄金時代はありました。

 

  • ヌールバーヌ…1525年~1587年
  • ミフリマーフ…1522年~1578年

 

ミフリマーフよりもヌールが9年も長生きしとる…。

蓮

ちなみにセリム派1524年生まれだから、ヌールは姉さん女房だったんですね。どーでもいいけど。

ヌールバーヌの死因

ヌールバーヌは女性で初めて摂政として政治に参加した人物として、オスマン帝国の歴史に名を刻んでいます。

 

しかし自分の出自であるベネチアを優遇した政策であったために、ベネチアの対立勢力から恨まれて暗殺されたと言われています。

 

ヌールバーヌの死因は…「不可解」

 

と伝わっており、死亡年も定かではありません。おそらく暗殺されたものと考えられています。

 

オスマン帝国外伝のドラマファンの方ならば…

バヤジトファンの方ならば…

ちょっと心が晴れる史実ですよね。

 

セリムは深酒でお風呂で滑って転んで頭を打って亡くなり、ヌールは「不可解(多分暗殺された)」な死を遂げました。人の死は死であり、自分の目で見聞きしたものでないので、セリムやヌールの本当の人格も知らずに死を喜ぶことはできません。あくまでも、ドラマの中だけの「ドラマ内感想」の域であることをご了承くださいね。ドラマをずっと見ていると、ヌールとセリムの死因はバヤジトの無念が少し晴れたような気持になれるんです。

 

セリムの息子のムラトはどんな皇帝になったの?

シーズン4の後半の、セリムとバヤジトの対立時に急に存在感を増してきた、セリムの息子のムラトですが、セリムの後を継いでオスマン帝国第12代皇帝となっています。

 

1546~1595年を生き、1574年にセリムが急逝したのちに皇帝に即位します。

 

セリム、バヤジト、ムスタファたちの兄弟争いを見ていると、「ムラトの時は覇権争いはなかったの?」と思いますよね。

 

ムラトの時に覇権争いはありませんでした。理由は…

1574年時点で、ムラトの兄弟はまだ幼くて、ムラトが実質的に唯一の後継者だったからです。

蓮 驚き

無意味な覇権争いで兄弟殺しがなくてホッとしました。

 

ムラトの時代も、セリムの時代から君臨するソコルル・メフメトパシャが権威をふるいますが、ムラト自身は自分が舵を取りたがる性質の皇帝でした。ただ、やはり歴史的には「愚帝」と呼ばれています。

 

ムラトはイランのタスマースブ王朝と(バヤジトを庇護して投獄の後に死に追いやったあの王様)、1578年から12年間にわたり戦争をします。名宰相たちのおかげでイラン侵略は進みましたが、国家を大赤字に陥れたうえに、ムラトの孫のアフメト1世の時代(1607年)には、この時獲得した領地全てを奪い返されています。

 

この時の国家の大赤字に伴い、オスマン帝国は財政難に陥り、政策の誤りからインフレに陥ります。

 

1580年に名宰相と呼ばれたソコルルが暗殺されたのち、

大宰相は何と10回も交替します。

 

オスマン帝国外伝のドラマでは不人気だったララムスタファも一瞬だけ大宰相になっていますが、80歳の高齢の時なので、すぐに死亡しています。

 

東でも南でも戦争をしており、財政難からインフレーション…オスマン帝国の民にとっては苦しい時代でした。

 

精力旺盛だったムラトの子どもたちの悲惨な末路

更にムラトが中年時にインポテンツの手術をすると、術後の反動から女好きに一転し、イスタンブールの後宮の隣に自分専用のハレムを建設。

 

ムラトの子の数は19人を超えたと言われています。

 

ムラトの死後に長子のメフメト3世が皇帝になった時に、慣習に従い幼い兄弟も、

腹の中にいた胎児までもが母親ごと袋詰めにされ、海に投げ込まれました。

 

そのあまりに惨い情景から、

メフメト3世の子どものアフメト1世の時代には、

兄弟殺しの慣習は廃止されました。

 

ムラトの妻のサフィエ・スルタン

オスマン帝国外伝のシーズン4の91話で初登場した、ムラトの妻はサフィエという名のベネチア出身の女性です。ミフリマーフが贈ったかのようにドラマでは書かれていますが、史実では「ヌールバーヌの親族」と伝わっています。

 

サフィエは、ヒュッレムやヌールバーヌに続いて「政治に参加した3番目のスルタン」でした。

 

出自のベネチアやイギリスと密約を交わしており、オスマン帝国の会議の内容を漏洩するなど、国家反逆罪にもあたる行為をしているんです。

 

結局はサフィエの産んだメフメト3世がムラトの後を継いでいて、他の側室はみな殺されているので、ヌールバーヌ的な女性だったと推測できますね…。

蓮 驚き

ドラマでそこまでやるかどうかわからないけど。

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オスマン帝国外伝・セリム・ヌールバーヌ・ムラトの史実まとめ

オスマン帝国外伝・セリム・ヌールバーヌ・ムラトの史実まとめ。
  • セリムは皇帝になるけど、酒飲みの暗愚の皇帝だった
  • セリムは何もせずに大宰相のソコルルが国を動かす
  • セリムの時代に、スレイマンもできなかったキプロス島を手に入れている!
  • でもセリムは民から「キプロスのワインが欲しかったんだぜ、あいつ」と揶揄され、尊敬されない
  • セリムはワインで酔って風呂で転んで頭を打って死亡する
  • ヌールバーヌはヒュッレム以上の権力を持ち、女性で初めて宰相クラスで政治参加する
  • ヌールバーヌは母大后として、女性で初めての権力を持つ
  • しかし出自のベネチアひいきの政策をして、ベネチアの対立勢力のジェノバから疎まれて暗殺されたと言われている
  • セリムの息子のムラトが次の皇帝となる
  • ムラトは12年間のイランとの戦争で国庫を赤字にする
  • 更に晩年の好色によって19人の皇子をもつ
  • ムラトの妻のサフィエもまた、ヌールバーヌのように権力を持つ母后となる
  • ムラトの死後に長男のアフメト1世が即位する
  • アフメト1世の即位時に、19人の兄弟が妊婦の母親事むごく殺されたため、以後「兄弟殺し」の慣習は廃止される

オスマン帝国外伝のドラマの大ファンの私としては…

  • ムラトにはスレイマン並みのいい皇帝になってほしかった
  • ソコルル宰相をちょっぴり見直した
  • サフィエやヌールバーヌが、ヒュッレムを凌いで母后になって権力をふるったことに納得がいかない…
  • ヒュッレムが死んだときにリュステムが「母后として最高の時代を経験されないとは」ってつぶやきが口惜しくなる
  • ヌールやサフィエの女性の権力の礎は、ヒュッレムこそが築いたのだと思いたい
  • ムラトが晩年に好色家になったことが、なんかめっちゃ悲しい…
  • 未だに「ムスタファやバヤジトが皇帝になっていたら…?」とか思っちゃう

セリムの暗愚さは、もうバヤジトが亡くなったことで諦めがついたけど、ムラトはいい皇帝にならなきゃでしょ…ドラマの流れ的には。

でも今回の記事はあくまでも史実のまとめなので、ドラマではスレイマンパパが暗愚セリムのかわりに孫のムラトに帝国の未来の希望を見出せることを願います。

 

そして「女奴隷」に過ぎなかった女たちが、後宮で力をもってのし上がり、女奴隷市場を廃止して女性の地位向上に努めたことを、喜びます。

 

その礎は、間違いなくヒュッレムが築き上げたものですもんね。

 

最後まで読んでくれてありがとうございました!